2012年12月25日火曜日

日本に定着した儒教思想

今はもうひどい立ちくらみと頭痛で、週一回病院へ行くのさえ本当につらい。産科医は「もう、こりゃあ長期戦じゃなあ」というし、卵巣も子宮もガタガタでねえ、何度も入院してよく診てもろうても、どうしてこんなに熱が出るのかわからんし、ちょっと仕事するとそりゃあひどい頭痛がして吐いてしまうんじゃが、それもどうしてかわからん。「こういう病気はなかなかわからんものよ」と、若い頃からずっと診てもろとる産科医じゃからなぐさめてくれるけど、わたしにはわかっとんのよ、こんなに更年期障害がひどいのは、絶対、若い頃の掻咤のせいじゃって。

ようけ(何回も)したもんねえ。私は妊娠しやすい体質でね。うらめしいくらい妊娠しやすいんよね。トーチャンは、「そんな気色の悪いもん(コンドームのこと)なんかせんぞ」というし、全部で一〇回くらいは(中絶手術を)したな。先生に(今回の中絶と次回の間を)三ヵ月は離さんといけんと言われたのに、三ヵ月を待てずにオロシたこともある。あの頃はみんなオロシとったけんねえ。誰も、あとのことまで、考えとる余裕もないし、そんなに大変なことじゃとも思うてなかったけん。

村では一番ええ暮らしをしとったくらいの家でしたから、まさか三人目を妊娠した時に、お義母さんからオロセといわれるなんて、思ってもなかったですわ。「そんなにボコボコ産まんでも、何とでも方法はあるじゃろうがね」と言われた時には一瞬わけがわからんかったですよ。その時はもうお腹の子を産むつもりで愛情も持っていましたので、オロシたくなくて「何とか産ませて下さい」と手をついてたのんだんですが、お義母さんはすっかり腹立ててしまって「勝手にしたらええ」と、それからいっさい口もきいてくれんし、何もしてくれんかったですよ。もちろんお産の世話も産後のこともです。情けなかったですわ。主人は女の気持ちがわかるような人じゃあなかったし、坊ちゃん育ち亡何の手伝いもできるような人じゃあなかったですから、涙流しながら私一人が何もかもやりましたよ。

次にできた(妊娠した)時には、主人にお金をもろうて、今治までオロシに行きました。主人?もちろんあの人は、私かオロシてもオロさんでも何にも関心はないんですが、お義母さんのいやな顔を見んで済むだけでもよろこんどんのとちがいますか。二回立て続けにオロシました。もう、いや! こんなことと思い、次に妊娠した時、一応主人にも相談してククって(卵管結紫)もろたんです。

中絶の手術は本当にいやですもんね。場所が場所ですし、同年代の子を見るたびに心がうずきますけん。まあククッたおかげでその手術の心配はなくなりましたが、四二(歳)で生理がアガつてしもて、血の道も若いけんひどかったし、いっぺんで髪が真っ白になってしもうたんですよ。こんなに早よ生理がなくなったのは、まちがいなくククッたせいだと思います。亡くなった人(義母)の悪口を言っても始まらんと思いますが、いまでもあの頃のお義母さんや主人の仕打ちを思うと、ええ気がせんですわねえ(岡村島、N子さん)。

もともと江戸期上級武士の倫理観として、日本に定着した儒教思想は、明治以後、一般庶民の暮らしの規範へと拡大し、とくに家族内の人間関係に大きな影響を与えた。そこでは、夫婦の結びつきの基本に愛情やいたわりなどの存在を重要視せず、さらにそれをつちかい育てていく必要性さえ、さほど認めていなかった。