2013年12月25日水曜日

現代アメリカ大学の生成淘汰

それでは一九六〇年代から七〇年代末にかけての学生数の拡大が続いた二〇年間に、現代アメリカの高等教育機関は、実際にどのように生成淘汰されていったのであろうか。連邦政府の統計によれば、アメリカの大学・短大は、一九六〇~一九六九年度の一〇年間で。四六二校(公立一三一校、私立一五一校)新設された。ところが閉校は七七校(公立一四校、私立六三校)で、このうち短大は五二校(公立一四校、私立三八校)、閉校数の六七・五パーセントを占めていた。つまり六〇年代の一〇年間は、新設が閉校をはるかに上回っていた。しかし閉校されたのは、大学よりは短大、とりわけ私立短大であり、その閉校数は学費が安く入学自由な公立短大が急速に発展している期間に増えていったのである。つまり公立と私立との競合が私立短大の閉校の主要な原因とみられる。

一九七〇年代(一九六九~一九七九年度)では、新設された大学・短大は四二九校(公立二四八校、私立一八一校)と六〇年代と同じ程度であったが、閉鎖された大学・短大数は六〇年代の二倍、計一五三校(公立二二校、私立ニ二校)にも達している。七〇年代の特徴は、六〇年代には二五校にすぎなかった四年制大学の閉校数が八〇校(公立一校、私立七九校)にも増えたことである。つまり閉校は私立短大だけではなく、私立の四年制大学にも及んできたのである。これらの私大のほとんどは、学生数千人以下の小規模な教養(リペラルアーツ)系の私学であった。

ワシントンにある全米私立大学研究所(NIICU)という団体も、一九七〇年から、私立大学の新設、廃校、合併等の全国調査を続けてきた[NIICU]。これによると私立高等教育機関は、一九七〇年代の一〇年間に少なくとも一一九校が新設されている。新設校のうち五分の四は非宗派系で、四分の三は学生数五〇〇人以下の小規模校で、九五パーセント以上が共学校であった。次に閉校数は、一九七〇年代の一〇年間で一四七校に達した。つまり私学の場合は新設校数よりも閉校数のほうが上回っているのである。閉校数の半分強は宗派系大学で、八五パーセント以上が学生数五〇〇人以下の小規模校であり、ミニ大学の閉校率は異常に高いということになる。

毎年の閉校状況を比べてみると一九七〇年代では年平均一四校の割合で閉鎖されているのに対し、一九七一年だけがダントツに高く、約二倍(二七校)にも達しているのが目立つ。報告書によると、この年はこの一〇年間を通じてアメリカの私学全体の学生数が下降した唯一の時期であったこと、また、ベトナム戦争 お時代の学生の兵役免除特典制度が廃止された年にあたる。つまり学生数の減少が弱小大学の閉校、に大きな影響を及ぼした模様である。