2014年9月15日月曜日

最大のマーケットーシェアを獲得できる生産者集団

変化は大歓迎と口では言うが、人間はもともと安定と秩序を好む生きものだ。望まぬ変化を強大いられるのは大嫌いだ。安定と言っても、毎月決まった額の収入がはいってくることだけか安定ではない。自分の身辺がガタつかず、周囲の出方が予想できる状況も安定である。ちゃんと雇用保険を掛けておけば、転職しても生涯収入が減る心配はない。だか、自分をとりまく環境との安定した関係が乱されるのは、保険では補償できない。

なじみの仕事仲間や友人に別れを告げて新しく人間関係を作り直さなければならないし、仕事の内容から上司との折り合いまですべて変わってしまう。会社をクビになるのは、群れから追い出されるに等しい。慣れ親しんだ場所を捨てなければならない心の重荷は、現代の失業でも中世の村八分でも同じだ。

集団の結束力を高めるために雇用の安定をきちんと保証する企業は、自社の方針に合った人材を獲得できる。企業の目標を達成するために努力を惜しまない労働力、企業の発展のためなら目の前の私利私欲を放棄できる労働力を集めることができる。日本の企業は、どんな零細な規模の会社でも、自分たちが発展しつつある経済帝国の一翼を担っているという自覚を持っている。あらゆる企業が競争に勝てる生産者集団、最大のマーケットーシェアを獲得できる生産者集団、ナンバーワンになれる生産者集団を育てようと努力している。

企業は株主に最大の利益を還元するために存在するというアングローサクソン的企業観のもとでは集団の利益ははっきりと否定され、個々の資本家の利益だけが考慮の対象になる。その他の人間はすべて賃金を払って雇った生産要素にすぎない。こうした考え方に与する経営責任者は、社員と経営陣はバラバラだと官言しているに等しい。株主か経営者を雇って私利私欲を追求するのと同じように、経営者や社員もまた各々勝手に私利私欲を追求する。これか軍隊だったら、どうなるか。大将も兵隊もただの雇われ人どうしで、運命を共にしようとする集団にはなれない。

自分が降伏したほうか戦場の後方にいる人々(つまり株主)がより豊かな消費生活を手に入れられると知っていたら、大将はさっさと敵に白旗を振るにちがいない。そのほうが出世か早い。いつまでも戦闘に固執していては、戦いの駆け引きを知らぬ男という熔印を押されてしまう。昔から、主義主張のために戦テ者のほうが金で雇われて戦テ者より強いこ池はわかっている。経済の世界でも理屈は同じだ。自分から望んで参加した戦いだから、命令にも従うし犠牲も払うのだ。望んでもいない戦いなちば命令に従う理由もないし、犠牲を払って得るものもないではないか。