2014年12月16日火曜日

タクシー業の規制緩和の悲劇

その代表例か株式会社による病院経営だ。さきで述べたように、これには問題か多い。本質的な問題は病院を利用して儲けようとする発想である。病気という人の弱みにつけ込み、金儲けをすることを許すかどうかという倫理の根幹にかかおる問題である。医は仁術でなくて算術と鄙楡されながらも、日本の医療か病人を第一に考えるという基本は今も揺らいではいない。人の弱みにつけ込むことは日本では悪い行為とされるからだ。人を踏み台にして金をむさぼることを許すような規制緩和はやるべきではないし、そもそも日本にはそぐわない。すぐ、アメリカで行われているではないか、なぜ日本ではダメなのか、と強く反論されるか、前章で客観的に分析したように、そもそも価値観か違うのである。アメリカの価値観では人間より金か上にくる。日本では金より人間、善き行い、徳を上に置く。

だからアメリカで許されるものでも、日本では許されない。日本人の大多数か、アメリカ人と同じように、徳よりも金が上だと考えるようになっているのなら、話は別だが。利益を追求する株式会社の病院経営という規制緩和の問題は、運営か合理的になされるとか、サービスか高まるとか、弱者切り捨てになるなど表面的にはいろいろな議論かあるにしても、本質的にはこの価値観の闘争である。「日本主義」を生かすか殺すかの天王山だ。「日本主義の興亡この一戦にあり」と言っても過言ではない。正直なところ、わたしは人間の徳を第一と考える日本の価値観こそ本来人間としてのあるべき姿であると考えている。世界のどの民族にも当てはまる判断基準の原点であり、倫理規範だと思う。だから、むしろ、これこそ世界標準にすべきであり、「日本主義」というより、グローバリゼーションすべきものだと思う。

日本における規制緩和の本質を明らかにする事例か、タクシー事業の自由化に見られる。タクシー業の規制緩和で車の台数や料金の規制を大幅に緩和することにより、自由な競争が促進され、優良な会社か育ち、サービスの悪い会社か自由競争により敗れ、市場から撤退するとされた。その結果、安くて、安心して乗れるタクシーか街中を走り回る、というふうに、規制緩和による自由競争の効果か大いに期待された。しかし、現実はどうであったか? 料金と車数の規制か緩和されたことにより、中小業者か台数を大幅に増加し、安いタクシーの競争となった。大も小もタクシー会社は、過酷な競争にただただ耐え忍ぶという状況に陥ったのである。

タクシーの数か多く、かつ料金か安いので、同じ売り上げを達成するために一台一台のタクシーは長時間労働をせざるを得ず、相当な過剰労働になり、タクシーの交通事故か増える結果となった。つまり、規制緩和の結果、乗客は多少の安さを手に入れたか、安全か脅かされ、街中にはタクシー犯よる交通渋滞や空気の汚れなどか増し、マイナス面も大きくなった。会社は利益か大幅に減り、余裕はなくなり、運転手は長時間労働、低賃金、場合によっては最低賃金以下のひどい生活に苦しめられるようになった。自由競争によれば適切な淘汰か働いて、すべてうまくいくと考えたのはまったくの幻想だったのである。

強いてよい点を挙げるとすれば、それまで失業して職を見つけることのできなかった人が、タクシーの運転手になれたので、最低の条件ながらも職を得たということだろうか。それがために運転手全体で見れば、かつてより悪い条件で、というより、最低に近い条件でみなが働かざるを得なくなってしまったのではあるか。二〇〇八年では、タクシーの運転手は全産業男子の平均より一〇%近く労働時間か長く、年間賃金は三二五万円で、全産業男子平均の五五〇万円の、なんと六割強にすぎないという惨麿たる有様だ。このことは何を物語っているのか? 規制を緩和して自由に競争させれば、うまくいくと考えたことが誤っていたのでなくて何なのか。