2015年5月20日水曜日

研修医の保険医資格の制限

厚生省の中間まとめに大学側は反対し、文部省の科学研究費により一九九五年五月に発足した「大学付属病院における卒後臨床研修の在り方に関する調査研究会」が一〇月末に公表した中間報告で必修化反対を打ち出している。報告書は①臨床研修はすでにほぼ全員が行なっており、法的に義務化することは不適当、②卒後研修、生涯教育には大学付属病院が中心的役割を果たすべきだ、③研修医の保険医資格の制限には研修の効果が下がるので反対する、としており、文部省と大学病院の側では独自に研修を改善するという姿勢を打ち出している。

文部省や大学病院側が反対するのは、この厚生省の案を実現しようとすると、下手をすると″インターン闘争の二の舞い”になるのではという不安があること、研修医を″活用”しているところでは新たなマンパワーが必要になるということ、それに研修医のアルバイトを禁止するので支払う手当や研修医のための研修料を加えると1000億円近くになり、文部省にはとてもその財源がないということもある。

この議論はどちらもそれぞれの主張があるように見える。しかし、ひとつ欠けていることは「国民はどういう医師を希望しているのか」という視点である。医師は大学医学部のために存在しているのではない。まして、文部省や厚生省のために医師という職業があるわけでもない。国民がどういう医師を望んでいるかがカギなのではないかと思う。

多くの国民は医師という技術者に、やさしくて、ヒューマニズムに富み、献身的な人を望んでいる。それとともに、家庭医としてオールラウンドプレーヤーとしての技術を希望し、同時に自分の手に負えないときには適切な診療機関に紹介の労をとってくれるという医師を望んでいるのではないだろうか。

たしかに臓器移植のできる移植医やベンーケーシーのような脳外科医、遺伝子組換えのできるドクターも必要であるが、これらの超専門医といわれる人たちの数は少ないし、こういう人たちは、いまの制度でも十分に出現することはできる。それに専門医を志向するにしても、家庭医としてのコースを歩んだうえで専門医になれば鬼に金棒である。