2015年7月16日木曜日

「臨時金利調整法」による金利上限規制

こうした融資拡大戦略における貸出金利の役割について簡単にふれておきたい。戦後、基幹産業へ経営資源を重点的に配分する一環として、「臨時金利調整法」による金利上限規制で低コストで集めた大衆預金を、政府の主導の下に、基幹産業へ傾斜的に投入する人為的な低金利政策がとられ、これが日本の高度成長を支えてきたといわれる。

しかし、借入れ企業の負担した実質的な金利は、名目金利ほど安かったわけではない。個々の貸出金利は当時、業界の自主規制で低水準に抑えられ、借り手の信用度や貸出条件の違いに応じてわずかに異なっていたが、歩留まり預金を考慮した「実効金利」は別であった。つまり、貸し出された資金の」部が、歩積み両建て預金として、実際には使えず預金の形で拘束されたため、名目貸出金利より借り手の実質的な負担は高くなる。融資先の信用に応じた貸出金利の設定をきちんと行うのではなく、現実には預金歩留まり、貿易為替手数料収入などを総合的に勘案し、「とれるところからとる」というのが実態であった。

リスクが高い中小企業へは高い「実効金利」で貸し出すのが経済合理的であるから、名目金利に上限があれば、当然預金歩留まりを高めようとするが、それは優越的地位にある銀行が弱い者いじめをして独占禁止法の精神に違反している、と国会などで槍玉にあがった。大蔵省の通達に従い金融業界は「自粛」の申し合わせをしたが、資金不足の時期には、企業は資金を確保さえすれば、経済成長のなかでなんとか生き残ることができたので預金を積んでも借入枠を確保しようとした。それに応じて貴重な貸出枠を配分するために、銀行も、「自粛」の裏をくぐるためのあらゆる手練手管を考案せざるをえない。

しかし当局は、政治家の批判をかわすために、このような歩積み両建て預金を厳重に監視した。その検査は峻厳を極め、貸出金が預金に化けるあらゆる可能性を発見しようとする驚くべき精緻な作業であった。銀行の意図とは全く関係なくとも、形式的にそのような流れが発見されたら、抗弁の余地なく支店長以下厳重な処分を受けるので、検査対策は膨大な預金元帳の資金の流れを一本ずったどる不毛な作業を深夜まで何日もつづけた。このときは、日本に生まれ銀行員になったことをつくづく呪ったものである。このような不毛な作業は、建て前だけの低金利政策がなければ不要な人的・物的資源の壮大な浪費であるからだ。