2015年10月15日木曜日

金融の世界に足を踏み入れる

インサイダーやその家族、親戚に至るまでが、M&Aの対象となる会社(売り手、買い手双方)の株を売買することを禁止されるのは当然のことです。M&Aは、最終的には取締役会に付議されて決定します。私かお付き合いした会社のなかには、取締役会で「M&A案件の審議中は役員が会議室から出るのを禁止しよう」との提案がなされた会社さえあります。東証に発表に行くまでの間に。部の役員が離席をして第三者に電話連絡をすることさえも物理的に不可能とする一要は、あらぬ疑いは一切かけられたくない、との発想で取られた措置でした。

こういった会社に比べれば、カネボウの前経営陣は「あまりに法令遵守を無視した」との膀りは免れられないでしょう。日本の都市銀行すべてを合わせても、シティバンクより価値が小さい、時おり次のような質問を受けます。「岩崎さんはなんで金融の世界で働こうと思っだのですか」「金融って、よその人の金を勘定しているようなイメージがあって面白くないんじゃないですか」若い人からも、金融の分野に行こうかどうか就職相談を受けることが少なくありません。「金融の分野に行けば、お金を通じていろんな世界を見れるんじやないでしょうか」「やはり金融機関は安定しているんじやないでしょうか」私は大学を卒業するまで、金融の世界に足を踏み入れることになるなどとは思ってもみませんでした。

私は、どちらかと言いますと貧しい家の生まれでした。小学校時代、友達みんなが自転車に乗ってソフトボールをしにいく時、私だけが自転車を持っていませんでした。一人で懸命に走りながら友達の自転車の後を追いかけだのを、今でも鮮明に覚えています。高校は早稲田の付属でしたが授業料全額免除の大隈奨学金をもらって卒業することができました。

中学・高校とずっと考えていたのは、戦争のことです。『火垂るの墓』のような、戦争の悲惨さを描く小説を読み、日本はなぜあんな戦争を始めたのだろうといつも考えていました。当時の軍隊は、現在で言えば財務省のように、エリートたちが集まり、日本の最高峰の頭脳が結集していたようなところでした。「それが何でこんな間違いをしてしまったのだろう」と。

大学では国際政治を学びました。日本が太平洋戦争を始める前、外務省が最後まで戦争回避の道を探り続けたのを知って、卒業後は外交官の道を行こうと思いました。一次の学科試験に受かった後、外務省の中枢の方々を前にしての面接試験があったのですが、そこで愕然としました。自分が勝手に思い描いていた外務省とはまったく違う姿を見たからでした。