2015年11月16日月曜日

円高による邦銀の資金の膨張

いわゆる邦銀の「オーバープレゼンス」(目立ちすぎ)も、円高によるイリュージョンの要素が強かった。邦銀のランクアップも、実はソニーやトヨタをはじめとする製造業の実力で獲得した円の価値上昇(円高)の反映に過ぎなかったわけである。舵取りに当たる私たち金融行政の側にも、その点の認識が不足していたことは、批判されても仕方がない。

私は八〇年前後、ヨーロッパで大使館勤務をしていた。邦銀の海外勤務者は、慣れない仕事に涙ぐましい努力をしていた。七〇年代後半になると日本からあふれ出てきた資金を、外国政府向けにシンジケートローンに組むことが始まる。担当者はそのために外国政府に日参することもあった。トップクラスの金融技術を駆使して世界の金融界をリードしている、というには程遠い姿である。しかしあれが身の丈に合った姿勢だったようにも思う。

その後八〇年代の後半になると、円高による邦銀の資金の膨張によって、わが国の金融の実力は(質でなく量によって)過大評価されることになった。その頃の「国際化」とは外国に進出すること自体であった。地方銀行までが競って、ニューヨーク、ロンドンに支店を出した。八一年三月には、邦銀の海外拠点は三百三十七ヵ所であったが、十年後の九一年三月には、七百五十二ヵ所と二倍以上になる。

製造業についても、例えばフォーチュン誌のアメリカを除く大企業五百社に入る日本企業の数が、八〇年の百二十一社から八五年百四十七社、八八年百五十九社と着実に増えた。この時期には海外旅行者の数が急増し、多くの人々が海外でわが国の経済力の大きさを実感した。