2016年1月18日月曜日

神仏習合から日本文明の心がわかる

仏教は公式には欽明天皇の時代の538年ないし552年に伝来したとされるが、それ以前から朝鮮半島を経由して渡来人によって伝えられていた。その後、蘇我氏の崇仏と物部氏、中臣氏の排仏の争いがあったものの、聖徳太子によって仏教の受容が定まり、以後わが国に仏教が根を下ろすことになったことはよく知られている。

儒教もまた仁徳天皇の代に、百済から博士王仁が『論語』を持って渡来したと「日本書紀」にあり、実際百済から五経博士が渡来していたことはたしかなので、聖徳太子の代より前から朝廷で儒教の教えが講ぜられていたことは疑いない。実際、聖徳太子の十七条憲法の条文や冠位十二階の名称などに儒教の強い影響を見ることができる。

いずれにしろ、仏教と儒教の伝来によって日本の文明は新しい段階を迎えることになる。すなわち、仏教はそれまで日本にあったアニミズムの神々と習合し、先祖の冥福や病気快復を祈る新しい呪術として受容され、儒教は日本の支配権を握った天皇を中心とする権力者の国家統治と支配のためのイデオロギーとしてその後の日本に長く影響力を保つことになる。

仏教と儒教のうち、日本人の宗教心を解明するに欠かせない鍵はむろん仏教にある。ひとくちに儒仏とはいっても、儒教のほうは宗教というより古代の政治イデオロギーと位置づけたほうが正確だからである。

むろん、儒教も宗教的要素はあるわけだが、少なくとも歴史を見るかぎり、わが国では宗教というよりも国家統治と支配のためのイデオロギーと見なすべきである。

だから、日本人の宗教心の本質を探るには仏教、それも大陸の仏教そのものではなく、日本古来のアニミズムから生まれた神々と習合した仏教を軸に分析してゆく視点が不可欠であろう。ここから日本文明の心が見えてくるのである。