2015年12月15日火曜日

百万円を取り返すのは容易ではない

試みに、相手方に絶対返してもらいたいという状況に直面したとしましょう。そんなときは、まず地方裁判所で裁判を起こします。勝っても、まだ相手が争ってきたら、次に高等裁判所に行きます。さらに最高裁判所まで抵抗され、それが終わるとようやく判決が確定します。

これだけの面倒なことをやればすぐにお金が返ってくるかというと、まだ返ってきません。少なくとも自動的に返ってくるようなシステムにはなっていないのです。その後、強制執行をしなければいけません。強制執行のためには、面倒な書類を書いて、その上で相手の財産を差し押さえなければいけません。

もし相手の財産がどこにあるのか分からなかったら何も差し押さえられず、判決の強制はできません。そのような問題は、昔からありました。著名な某富豪が判決に負けて「なにがしかの金を払え」と命じられた。しかし「それがどうした」と開き直った。

原告はどうしても回収できなかった。もちろん、債務者たる富豪は、銀行口座にたくさんの預金を持っていた。しかし、どこの銀行の何支店に持っているかということが分がらなければ、たとえ裁判で苦労の末に勝訴判決を得ても、ビター文、回収できないのが現実です。

税務署のような国家権力ならば、ある程度は情報があるようです。しかし、普通の人にはそういう情報はありません。またそういう場合に、普通の人が、債務者の財産のありかに関する情報を税務署に教えてもらおうと思っても、税務署は教えてくれません。

税務署は、自分たちがお金を回収するときのためだけに情報を独占していて、普通の人がどんなに気の毒な状態でも、まずほとんど助けてくれないでしょう。それは税務署が悪いのではなく、情報の開示を税務署がやってもいいという法律はないために、そういうことはやりたくてもやれないのです。

2015年11月16日月曜日

円高による邦銀の資金の膨張

いわゆる邦銀の「オーバープレゼンス」(目立ちすぎ)も、円高によるイリュージョンの要素が強かった。邦銀のランクアップも、実はソニーやトヨタをはじめとする製造業の実力で獲得した円の価値上昇(円高)の反映に過ぎなかったわけである。舵取りに当たる私たち金融行政の側にも、その点の認識が不足していたことは、批判されても仕方がない。

私は八〇年前後、ヨーロッパで大使館勤務をしていた。邦銀の海外勤務者は、慣れない仕事に涙ぐましい努力をしていた。七〇年代後半になると日本からあふれ出てきた資金を、外国政府向けにシンジケートローンに組むことが始まる。担当者はそのために外国政府に日参することもあった。トップクラスの金融技術を駆使して世界の金融界をリードしている、というには程遠い姿である。しかしあれが身の丈に合った姿勢だったようにも思う。

その後八〇年代の後半になると、円高による邦銀の資金の膨張によって、わが国の金融の実力は(質でなく量によって)過大評価されることになった。その頃の「国際化」とは外国に進出すること自体であった。地方銀行までが競って、ニューヨーク、ロンドンに支店を出した。八一年三月には、邦銀の海外拠点は三百三十七ヵ所であったが、十年後の九一年三月には、七百五十二ヵ所と二倍以上になる。

製造業についても、例えばフォーチュン誌のアメリカを除く大企業五百社に入る日本企業の数が、八〇年の百二十一社から八五年百四十七社、八八年百五十九社と着実に増えた。この時期には海外旅行者の数が急増し、多くの人々が海外でわが国の経済力の大きさを実感した。