2014年5月23日金曜日

概念を具体化した指標

この研究についての詳しいことは私の他の著書(『日本の政治エリート』中公新書)を見ていただく他はない。しかしこの研究を始めるにあたってまず問題になったのは、「政治エリート」という概念を、どう定義するかという問題であった。「政治エリート」とは「支配階級」や「政治的指導者」さらには「政治家」いう概念と重なり合いながら、しかもそれらとは異なる独立の概念である。結局私は「政治エリート」とは、「政治的決定の過程に影響力を持つ人々」という、一般的定義から出発した。

しかしこの概念は一般的概念であって具体的に百年間の日本の近代史のなかで、誰を観察すればよいのか、明らかにする手掛りは含まれていない。そこで私はエリート研究でよく使用されている実際的な方法を使うことにした。つまり大臣、国会議員、局長以上の官僚、政党役員などの、政治的に重要と考えられる役職をあらかじめ定め、その職に就任している人々を調べることにした。つまり「政治的に重要な役職についている人物」という、具体的定義を政治的エリートという概念の、指数あるいは指標(indicator)として採用したのである。

このように実際の研究においては概念を具体化した「指標」を定めて観察を行う。その関係を示している。「概念」が観察すべきものについての、一般的定義であるならその「指標」は具体的な観察という作業を行うための具体的な定義である。そのため概念を代表する指標は、「作業定義Operational definition」と呼ばれる。「作業定義」は概念と、経験的世界との仲立ちをするいわば経験的な定義である。そしてこの定義に従って観察され、記述化された経験的世界の一部は、データ、あるいは資料と呼ばれて研究の際の経験的証拠となるのである。

もし議論が、抽象度の高い一般的概念の平面だけで行われるとするならば、その議論は経験科学ではなくなってしまう。逆に社会科学の議論が、常に経験的世界の平面にとどまるならば、それは地面をはいまわる悪しき経験主義者のレポートになってしまう。社会科学が経験的事実に基づいた科学であるためには、われわれは経験と抽象との間を、往復しなければならないのである。そこでこの経験と抽象との往復の意味を考えるために、社会学の古典の例をあげてみよう。

2014年5月3日土曜日

変わりゆく保健所像

昭和三〇年代に入って結核の死亡率は激減した。一九五一年までは結核ぱ死因のトップだったが、その後数年の間に一気に四位になり、さらに下がりはじめた。昭和四〇年代に入ってガン検診が盛んになり、全国の保健所で胃ガソや子宮ガソの検診が活発に行なわれはじめた。結核やガンの検診はそれなりに効果も上がったといえるが、多くの保健所長はX線のフィルムを読む、つまり診断医としての領域に生きがいを見出していた。「X線フィルムを見ないと飯がまずい」と私にいった保健所長は何人もいる。これは医師の習性なのかもしれない。

多くの国民はこういった保健所のいわば診療面をみて、保健所のイメージとしていた。しかし、保健所は診療機関ではない。公衆衛生の拠点なのである。ここのところに実は問題があったといえるのではないかと思う。結核は死亡率も患者も激減して″過去の病気”になった。ガンもレベルの高い診療機関ができて、国民はそちらのほうを選ぶようになり、各市町村や大病院がガン検診に乗り出し、保健所で受診する人も少なくなった。

こうして国民からみて″評価心していた保健所の″診療面″は徐々に衰退していった。一方では、先進的な市町村では、市町村保健センターをつくったり、数多くの保健婦を採用するところも現われはじめた。保健所は、国民からかつて信頼を持たれていた診療所の外来のような機能が次々に他の病院などの診療機関に″奪われた”形になっていった。

昭和三〇年代の終わりの話だが、東京の渋谷区民を対象にした「保健所のイメージは?」というアンケートで回答を寄せた人の半分以上が「犬の予防注射をするところ」と答えている。戦後の医療が、昭和二〇年代と三〇年代では大きく変わっている。疾病の構造も結核などの伝染病からガソや脳卒中などの成人病に転換したし、一方昭和三〇年代の前半から臨床検査が導入されて、医療は様変わりしつつあったときである。