2014年5月3日土曜日

変わりゆく保健所像

昭和三〇年代に入って結核の死亡率は激減した。一九五一年までは結核ぱ死因のトップだったが、その後数年の間に一気に四位になり、さらに下がりはじめた。昭和四〇年代に入ってガン検診が盛んになり、全国の保健所で胃ガソや子宮ガソの検診が活発に行なわれはじめた。結核やガンの検診はそれなりに効果も上がったといえるが、多くの保健所長はX線のフィルムを読む、つまり診断医としての領域に生きがいを見出していた。「X線フィルムを見ないと飯がまずい」と私にいった保健所長は何人もいる。これは医師の習性なのかもしれない。

多くの国民はこういった保健所のいわば診療面をみて、保健所のイメージとしていた。しかし、保健所は診療機関ではない。公衆衛生の拠点なのである。ここのところに実は問題があったといえるのではないかと思う。結核は死亡率も患者も激減して″過去の病気”になった。ガンもレベルの高い診療機関ができて、国民はそちらのほうを選ぶようになり、各市町村や大病院がガン検診に乗り出し、保健所で受診する人も少なくなった。

こうして国民からみて″評価心していた保健所の″診療面″は徐々に衰退していった。一方では、先進的な市町村では、市町村保健センターをつくったり、数多くの保健婦を採用するところも現われはじめた。保健所は、国民からかつて信頼を持たれていた診療所の外来のような機能が次々に他の病院などの診療機関に″奪われた”形になっていった。

昭和三〇年代の終わりの話だが、東京の渋谷区民を対象にした「保健所のイメージは?」というアンケートで回答を寄せた人の半分以上が「犬の予防注射をするところ」と答えている。戦後の医療が、昭和二〇年代と三〇年代では大きく変わっている。疾病の構造も結核などの伝染病からガソや脳卒中などの成人病に転換したし、一方昭和三〇年代の前半から臨床検査が導入されて、医療は様変わりしつつあったときである。