2014年12月16日火曜日

タクシー業の規制緩和の悲劇

その代表例か株式会社による病院経営だ。さきで述べたように、これには問題か多い。本質的な問題は病院を利用して儲けようとする発想である。病気という人の弱みにつけ込み、金儲けをすることを許すかどうかという倫理の根幹にかかおる問題である。医は仁術でなくて算術と鄙楡されながらも、日本の医療か病人を第一に考えるという基本は今も揺らいではいない。人の弱みにつけ込むことは日本では悪い行為とされるからだ。人を踏み台にして金をむさぼることを許すような規制緩和はやるべきではないし、そもそも日本にはそぐわない。すぐ、アメリカで行われているではないか、なぜ日本ではダメなのか、と強く反論されるか、前章で客観的に分析したように、そもそも価値観か違うのである。アメリカの価値観では人間より金か上にくる。日本では金より人間、善き行い、徳を上に置く。

だからアメリカで許されるものでも、日本では許されない。日本人の大多数か、アメリカ人と同じように、徳よりも金が上だと考えるようになっているのなら、話は別だが。利益を追求する株式会社の病院経営という規制緩和の問題は、運営か合理的になされるとか、サービスか高まるとか、弱者切り捨てになるなど表面的にはいろいろな議論かあるにしても、本質的にはこの価値観の闘争である。「日本主義」を生かすか殺すかの天王山だ。「日本主義の興亡この一戦にあり」と言っても過言ではない。正直なところ、わたしは人間の徳を第一と考える日本の価値観こそ本来人間としてのあるべき姿であると考えている。世界のどの民族にも当てはまる判断基準の原点であり、倫理規範だと思う。だから、むしろ、これこそ世界標準にすべきであり、「日本主義」というより、グローバリゼーションすべきものだと思う。

日本における規制緩和の本質を明らかにする事例か、タクシー事業の自由化に見られる。タクシー業の規制緩和で車の台数や料金の規制を大幅に緩和することにより、自由な競争が促進され、優良な会社か育ち、サービスの悪い会社か自由競争により敗れ、市場から撤退するとされた。その結果、安くて、安心して乗れるタクシーか街中を走り回る、というふうに、規制緩和による自由競争の効果か大いに期待された。しかし、現実はどうであったか? 料金と車数の規制か緩和されたことにより、中小業者か台数を大幅に増加し、安いタクシーの競争となった。大も小もタクシー会社は、過酷な競争にただただ耐え忍ぶという状況に陥ったのである。

タクシーの数か多く、かつ料金か安いので、同じ売り上げを達成するために一台一台のタクシーは長時間労働をせざるを得ず、相当な過剰労働になり、タクシーの交通事故か増える結果となった。つまり、規制緩和の結果、乗客は多少の安さを手に入れたか、安全か脅かされ、街中にはタクシー犯よる交通渋滞や空気の汚れなどか増し、マイナス面も大きくなった。会社は利益か大幅に減り、余裕はなくなり、運転手は長時間労働、低賃金、場合によっては最低賃金以下のひどい生活に苦しめられるようになった。自由競争によれば適切な淘汰か働いて、すべてうまくいくと考えたのはまったくの幻想だったのである。

強いてよい点を挙げるとすれば、それまで失業して職を見つけることのできなかった人が、タクシーの運転手になれたので、最低の条件ながらも職を得たということだろうか。それがために運転手全体で見れば、かつてより悪い条件で、というより、最低に近い条件でみなが働かざるを得なくなってしまったのではあるか。二〇〇八年では、タクシーの運転手は全産業男子の平均より一〇%近く労働時間か長く、年間賃金は三二五万円で、全産業男子平均の五五〇万円の、なんと六割強にすぎないという惨麿たる有様だ。このことは何を物語っているのか? 規制を緩和して自由に競争させれば、うまくいくと考えたことが誤っていたのでなくて何なのか。

2014年11月15日土曜日

新民事訴訟法の活用例

世の中の流れは、透明性とか情報公開といったことが声高に叫ばれるようになっていた頃でした。新民事訴訟法によって、広く文書の提出義務が認められるようになったのだから、裁判の現場では当然に文書提出命令が出るだろう、と多くの人は思っていました。

例えば銀行が訴えられた裁判では、銀行の「貸出臭議書」といった重要書類を訴訟の証拠として提出しなければならなくなるだろうと期待されていました。銀行の「貸白票議書」とは、銀行が融資にあたって、どのように判断して行動したかを示す重要な証拠です。

 ところが、最高裁は九九年十一月、そうした文書を出す義務はないという判例を作りました。理由は主として、「そういうものを出させることにすると、銀行が意思形成をするときに躊躇して影響を受けるから」といった理屈でした。

ちなみに、その最高裁の決定は、新民事訴訟法がどうして一般的提出義務を定めることになったのか、といった趣旨や時代的な要請については何もふれていません。一体どういうことなのでしょうか?秦議書が開示されるのを心配して意思形成が妨げられると、何か不都合なことでもあるのでしょうか?

新しい民事訴訟法のおかけで「文書提出義務」が広く適用されることになり、証拠が出やすくなったはずなのに、結果として、そうではないということになりました。実際、銀行のいわゆる「貸し手責任」を追及する訴訟や、変額保険により被った損害について銀行の責任を追及する訴訟で、最高裁が簡単に提出義務を否定したことからして、この類の訴訟においては、余程のことがない限り提出義務が認められる余地はない」と指摘されています。

2014年10月15日水曜日

創造性に欠けたSEなんていらない

SEもまったく同じことが言えるはずである。コンピューターシステムに関する高度な知識と技術。自己の技術に対する強固な信頼。いかなる状況下でも自分の能力を一〇〇パーセント出すことができる強靭な精神力。自分を売り込むことのできる言葉と表現力。自分ひとりだけでも生きていけるオールマイティな能力と独立独歩の精神。このような職人気質に裏打ちされたSEこそが本来のSEの姿であり、これからの時代を勝ち抜いていける真のプロフェッショナルなのである。

さらに現代のSEには創造性も不足している感が否めない。創造性とはモノを作り出す能力のことだが、バーチャルな伊界とはいえモノ作りを本業とするSEにとって、これは致命的と言える。

現代のSEはすでにインフラが整った状態に育った。たとえば、ある企業がイントラネットの構築を考えたとする。イントラネットとは、インターネットを企業内に張りめぐらし、電子メールやホームページの活用によって、于作業や紙に頼ってきた社内の工務工程を電子化し合理化することである。このイントラネットを構築するには、非常に人雑把に分けて次のようなシステムが必要になる。インターネットをペースとする社内ネットワークニ上で作動する事務処理川ソフトウェア、社内情報を蓄積するデータベースである。

数日前であれば、これらのシステムを構築する作業は、ゼロからの出発だった。SEはそれぞれのシステムを自らの創造力だけを頼りに一から構築するしか手がなかったのである。そしてそれがSEの什事であり、それゆえ毀重な経験も身についた。

しかしいまは、ほとんど既存の製品の寄せ集めで構築できてしまう。技術の進歩により、市販のパッケージ製品か市場にあふれているからだ。ネットワーク基盤を構成する製品、社内業務フローを批うグループウェア製品、容易に構築旺能なデータベース製品。SEのやることは、できるだけ実績のある信頼性の高い製品を選ぶこととその製品知識を身につけることだけだ。いわばプラモデルを作るように、すでにある部品を順番どおり組み上げるだけで、それなりのシステムが完成してしまうのである。

2014年9月15日月曜日

最大のマーケットーシェアを獲得できる生産者集団

変化は大歓迎と口では言うが、人間はもともと安定と秩序を好む生きものだ。望まぬ変化を強大いられるのは大嫌いだ。安定と言っても、毎月決まった額の収入がはいってくることだけか安定ではない。自分の身辺がガタつかず、周囲の出方が予想できる状況も安定である。ちゃんと雇用保険を掛けておけば、転職しても生涯収入が減る心配はない。だか、自分をとりまく環境との安定した関係が乱されるのは、保険では補償できない。

なじみの仕事仲間や友人に別れを告げて新しく人間関係を作り直さなければならないし、仕事の内容から上司との折り合いまですべて変わってしまう。会社をクビになるのは、群れから追い出されるに等しい。慣れ親しんだ場所を捨てなければならない心の重荷は、現代の失業でも中世の村八分でも同じだ。

集団の結束力を高めるために雇用の安定をきちんと保証する企業は、自社の方針に合った人材を獲得できる。企業の目標を達成するために努力を惜しまない労働力、企業の発展のためなら目の前の私利私欲を放棄できる労働力を集めることができる。日本の企業は、どんな零細な規模の会社でも、自分たちが発展しつつある経済帝国の一翼を担っているという自覚を持っている。あらゆる企業が競争に勝てる生産者集団、最大のマーケットーシェアを獲得できる生産者集団、ナンバーワンになれる生産者集団を育てようと努力している。

企業は株主に最大の利益を還元するために存在するというアングローサクソン的企業観のもとでは集団の利益ははっきりと否定され、個々の資本家の利益だけが考慮の対象になる。その他の人間はすべて賃金を払って雇った生産要素にすぎない。こうした考え方に与する経営責任者は、社員と経営陣はバラバラだと官言しているに等しい。株主か経営者を雇って私利私欲を追求するのと同じように、経営者や社員もまた各々勝手に私利私欲を追求する。これか軍隊だったら、どうなるか。大将も兵隊もただの雇われ人どうしで、運命を共にしようとする集団にはなれない。

自分が降伏したほうか戦場の後方にいる人々(つまり株主)がより豊かな消費生活を手に入れられると知っていたら、大将はさっさと敵に白旗を振るにちがいない。そのほうが出世か早い。いつまでも戦闘に固執していては、戦いの駆け引きを知らぬ男という熔印を押されてしまう。昔から、主義主張のために戦テ者のほうが金で雇われて戦テ者より強いこ池はわかっている。経済の世界でも理屈は同じだ。自分から望んで参加した戦いだから、命令にも従うし犠牲も払うのだ。望んでもいない戦いなちば命令に従う理由もないし、犠牲を払って得るものもないではないか。

2014年8月20日水曜日

不実の発行開示と課徴金

他方、監査法人や引受証券会社は、これから上場する会社のように知名度の低い発行者の証券でも一般投資家が安心して購入できるよう、自己の評判を発行者に与える評判の仲介者として機能しています。評判の仲介者は、発行者が不実記載をした場合にリスクに晒す評判の大きさに比べて受け取る報酬が極端に低いので、ふつうは発行者の不実記載その他の詐欺行為に協力することはないと考えられます。しかし、エンロン事件では、エンロンに評判を貸与した会計事務所(アーサー・アンダーセン)が解散に追い込まれました。わが国でも、カネボウの粉飾決算をはじめとしていくつかの粉飾事例で名前が取り沙汰された会計事務所(旧中央青山監査法人)が解散に追い込まれており、巨大会計事務所の会計士が上場企業の粉飾決算に関与したのはなぜかが問われています。評判の仲介者にゲートキーパーとしての機能を果たさせるには、どのような法的責任を課したらよいかは、大変難しい問題であり、世界的に議論の的になっています。

発行開示書類に虚偽記載があれば関係者が刑事罰の対象になりますが、刑事罰は対象者に与える影響が極めて大きいために抑制的に運用する必要があり、違反行為のすべてに違反の態様に応じた処罰を与えることは困難です。他方、民事責任は、それを追及するかどうかが投資家の判断に委ねられているうえ、わが国には少額の請求を糾合するクラスアクションの制度がないため、十分な抑止力を発揮できているとはいえません。そこで違反行為に対する抑止力を働かせるために、違反行為の程度や態様に応じて金銭的負担を課す課徴金制度が平成16年改正で導入されました。

課徴金制度の対象は、①発行開示違反、②継続開示違反、③風説の流布・偽計取引、④相場操縦、⑤インサイダー取引に限定されていましたが、平成20年改正は、その適用対象を各種書類の不提出などに拡大するとともに課徴金額を引き上げました。不実記載のある有価証券届出書等を提出した発行者には、発行価額の2・25%(株券等は4・5%)の課徴金が課せられます(172条1項1号)。2・25%とか4・5%という数値は、不実記載のある発行開示書類を用いて有利な条件で証券を発行したことから発行者が得た利得を基準として設定されたものです。これまで有価証券届出書等の虚偽記載に対し課徴金が課された例が相当数あります。

もっとも、発行者が得た経済的利得相当額を吐き出させるだけでは、違反行為を抑止する効果を十分に発揮できません。また、発行価額の一定割合を課徴金の額とするのでは、違反の程度に応じた制裁を課すことにはならないでしょう。不実記載に関与した役員等は、自己が売出しにより有価証券を売り付けた場合に限り、売出価額の2・25%(株券等は4・5%)の課徴金が課せられます。不実記載のある財務書類を不実記載がないものとして監査証明をした監査人(公認会計士・監査法人)に対しては、公認会計士法上の課徴金が課されます(公認会計士法31条の2、34条の21の2)。この制度では、相当の注意を怠ったことにより虚偽証明をした監査人には、虚偽証明期間に係る監査報酬の額を課徴金として課し、故意により虚偽証明をした監査人には、その1・5倍の課徴金を課すことにしています。つまり、ここでは課徴金は経済的利得の剥奪に限定されるという考え方は克服されています。

新規発行証券に関する正確な情報が開示されても、その情報に基づかないで投資決定が行われていたのでは、ディスクロージャーの目的は達成されません。そこで法は、情報に基づいた投資決定を確保するために、証券発行の取引に規制を加えています。届出書が提出されてから、15日後に届出書の効力が発生するまでの間、証券会社等は投資家に対し証券の取得を勧誘することが許されますが、取得契約を締結することはできません(15条1項)。届出書の情報が公開されて広く行き渡り、投資家がその情報を熟慮する期間が必要だからです。参照方式の利用適格要件を満たす場合は、発行者に関する情報が市場に行き渡っていると考えられるのでヽ効力発生までの期間は7日間に短縮されます。届出書の効力が発生していないのに証券を売り付けた者はバ証券を取得した者に対し違反行為から生じた批害を賠償する責任を負います(16年)。

2014年7月24日木曜日

経常収支黒字の縮小

バブル崩壊によって再び経常収支黒字が拡大し、年々円高となっていった。しかも円高が継続して起こっているのに、さらに経常収支黒字が拡大するという「異常な」事態となったことはこれまでの常識を破ることとなる。このため一九九一年から日本経済は長期の不況に入るが、景気の回復が見られるたびに円高となり、不況からの回復を妨げてきた。

円高の下で、経常収支黒字の縮小が成功しなかった原因については、次で議論することとしたい。円高傾向では、経常収支黒字とともに資本収支の動向が為替レートに大きな影響を与えることになる。先に述べたように、経常収支黒字であれば、円高は自然である。ここで円高抑制を狙うには、それを相殺すべき資本取引面での動きに期待することになる。

すなわち、先に述べた経常収支と資本収支の両者の引合いが為替レートに変動を与える。もちろん、経常収支黒字と資本収支赤字は必ず等しいので、統計上からはどちらの要因で為替レートが決まったのかはよくわからない。ただ、積極的な資本移動による外国資産の取得である長期資本収支の動きを見ると、その要因の動きがうかがえる。表に見られるように、為替レートが安定した一九八八年から九〇年にかけては、経常収支黒字が傾向的に減少したこともあるが、一方では長期資本収支の大幅な赤字が続いた。

一方、アメリカにおいても経常収支赤字は急速に縮小し、ほぼゼロに近づいた。これは円レートの低め安定を導いた。ところが、バブルが崩壊すると長期資本収支赤字は縮小し、九一年には長期資本収支は三七一億ドルの黒字となった。経常収支黒字の下での長期資本収支黒字はいかにも大きな不均衡を生かことになる。そして、アメリカでも経常収支赤字は急速に拡大していく。これらが円高を作っても自然である。問題はなぜ長期資本収支赤字が縮小したか、なぜ円高で経常収支黒字が拡大していったかである。

その後、長期資本収支の赤字幅は徐々に拡大するが、経常収支黒字の絶対額を大きく下回るものとなった。これでは経常収支黒字が円高となる要因が強く出て、資本収支赤字で円を引き下げる要因が低くなっても不思議はない。このために、円は一九九〇年四月に最安値の一五九・九五円を付けたものが一〇月には一ー四・四〇円へと急騰し、その後は下がっては上がるという動きをとりな、がらも傾向的に円高が継続していくことになる。

2014年7月10日木曜日

社会保障制度の新しい理念

今後の経済財政運営の基本方針となるべきものと言われています。「自助と自律」の精神を基本として、民間部門で実現可能な機能はそこに委ね、公的制度と補完性、競介性を合わせもった総合的な保障システムによって国民生活の安定を実現していくことを提唱しています。そして個人レベルで社会保障の給付と負担が分かるように情報提供を行う仕組みとしての「社会保障個人勘定(仮称)」システムの構築や「医療サービス効率化プログラム(仮称)」の策定を打ち出しています。

この二つの提言方針は、市場原理を重視し、公的関与を減らして小さな政府をめざすという方向で同一の流れの中にあります。もう一つの流れは、社会の安定と安心を確保する社会保障の役割を重視し、現行の社会保険方式を中心にした制度を維持しつつ、制度内の効率性を高めていく方向です。

その一つは総理府社会保障制度審議会の「社会保障体制の再構築に関する勧告、安心して暮らせる二十一世紀の社会保障を目指して」です。四年ほどかけて専門家が議論し、広く国民の意見を聞いたうえで作成し総理大臣に勧告したものです。総合的・体系的に社会保障全体を網羅して、新しい社会保障の理念、基本的な改革の方向を打ち出しています。公的介護保険や措置制度の改革などすでに実行に移されているものもあります。

「社会保障制度の新しい理念とは、広く国民に健やかで安心できる生活を保障することである」として普遍的な社会保障の新たな在り方を追求すべきことを説き、社会保険が今後ともわが国社会保障制度の中核としての位置を占めていかなければならない、としています。また、「若い世代は、高齢者の増加による負担の増大について心配している。したがって、社会保障制度が何についてどこまで保障するかを明確にし、それについて国民が十分理解することは極めて重要である」と述べ、若い世代の不安解消のため、社会保障の役割を明確化することの重要性を指摘しています。

2014年6月25日水曜日

給付乗率は現在も下がり続けている

正確な年金額を独力で計算しようとすれば、すべての給与明細表を保存しておかなければなりません。こんな人はほとんどいないでしょう。社会保険事務所にいけば、教えてもらえます。社会保険事務所は、社会保険庁の大型コンピューターにオンラインで結ばれています。この大型コンピューターにすべての被保険者の記録が保存されているのです。

給付乗率とは給付乗率は、従前生活の維持ということと関係があります。一九八六年改正前は、給付乗率は千分の十でした。モデル年金の加入期間は四十年ですので、給付乗率に加入期間を掛けると、千分の四百、すなわち四〇%となります。厚生年金(報酬比例部分)の年金額は、平均標準報酬月額に「給付乗率×加入期間」ですので、カッコの中は四〇%になります。このことは何を意味するのでしょうか。

現役時代の平均給与の四〇%を、厚生年金(報酬比例部分)で保障しようとしているのです。実際に受け取る年金額は、これに基礎年金分が加わります。夫婦二人分の基礎年金を加えると、厚生年金では従前賃金の約六割を保障することになります。

給付乗率は現在も下がり続けています。一九八六年改正で、急激な給付水準の低下を避けるため、二十年かけて給付乗率の引き下げを行うように決めたからです。二〇〇六年で引き下げは完了します。千分の十が千分の七・五になるのです(二〇〇〇年改正で五%削減)。千分の七・五という給付乗率は、先の計算によると平均標準報酬月額の三〇%【千分の七・五×四〇年】を保障しようとするものです。

一九八六年改正は、いまから振り返るとずいぶん、思い切った給付水準の削減を行ったものです。もっとも、この背景には年金制度の成熟化、すなわち平均加入期間の伸びがありました。給付乗率が下がっても加入期間が伸びれば、受け取る年金額は変わらないのです。

2014年6月11日水曜日

公募発行と私募発行

これらのことから、金融取引において、資金の融通を受けた主体の状況を監視することは、資金提供者の利益を保全するために、ほとんどの場合に不可欠である。しかし、こうした監視(および監視の結果に基づいて、契約違反が認められた場合には、適切な対抗措置をとる)という活動は、審査の作業と同様に、費用と専門能力を要するものである。したがって、先と同じ理由で、監視の作業も、金融機関という専門的な組織に委託することが効率的であるといえる。

なお、金融機関が資金調達者を監視(モニターするのは、直接的には資金提供者の利益を守るためであるが、そのことは、資金調達者にとっても望ましいと考えられる。というのは、そうした監視が行われないならば、資金提供者は自己の利益に反する行動を資金調達者がとるのではないかという疑心暗鬼に陥り、資金提供そのものを拒否してしまうかもしれないからである。金融機関によるモニタリングは、資金調達者にとって、自己の潔白を証明する手立て(これを「ボンド」ともいう)ともなり得るのである。なお、以上述べてきた審査・監視活動を通じて金融機関が遂行している役割は、金融機関の働き(金融仲介機能)のうちで、とくに「情報生産機能」と呼ばれている。

右に述べた金融取引にあだっての審査や監視の必要性の度合は、すべての資金調達者について同じではない。その必要性が低い主体も、逆にその必要性が高い主体もあり得る。例えば、中央政府(国)や超一流とされる大企業などは、金融取引以外の活動を通じてほとんどの資金提供者によく知られている。こうした主体が資金調達者となるケースでは、事前に審査を行う必要性はかなり低いといえる。また、この種の主体がデフォルトを起こすおそれも少ないとみられるので、事後の監視の必要性もかなり低いといえる。

加えて中央政府や大企業が必要とする資金の量は、巨額に及ぶことが通例である。こうした場合には、多くの主体から資金を調達する必要がある。すなわち、これらの主体が資金調達を行うケースでは、多くの主体と取引することを可能にする条件(広く知られている、このことを「市場でのネームがある」という)とその必要性がともに揃っている。こうしたときには、資金提供に対する将来の見返りの約束を一定単位ごとに分割した「券」として必要な枚数だけ発行し、その券を購入してもらうというかたちで資金提供を受けるという方式がとられることがある。ここでいう資金調達のための券の実例としては、国債や株式、社債などがあげられる。以下、こうした券を「証券」と総称する。

2014年5月23日金曜日

概念を具体化した指標

この研究についての詳しいことは私の他の著書(『日本の政治エリート』中公新書)を見ていただく他はない。しかしこの研究を始めるにあたってまず問題になったのは、「政治エリート」という概念を、どう定義するかという問題であった。「政治エリート」とは「支配階級」や「政治的指導者」さらには「政治家」いう概念と重なり合いながら、しかもそれらとは異なる独立の概念である。結局私は「政治エリート」とは、「政治的決定の過程に影響力を持つ人々」という、一般的定義から出発した。

しかしこの概念は一般的概念であって具体的に百年間の日本の近代史のなかで、誰を観察すればよいのか、明らかにする手掛りは含まれていない。そこで私はエリート研究でよく使用されている実際的な方法を使うことにした。つまり大臣、国会議員、局長以上の官僚、政党役員などの、政治的に重要と考えられる役職をあらかじめ定め、その職に就任している人々を調べることにした。つまり「政治的に重要な役職についている人物」という、具体的定義を政治的エリートという概念の、指数あるいは指標(indicator)として採用したのである。

このように実際の研究においては概念を具体化した「指標」を定めて観察を行う。その関係を示している。「概念」が観察すべきものについての、一般的定義であるならその「指標」は具体的な観察という作業を行うための具体的な定義である。そのため概念を代表する指標は、「作業定義Operational definition」と呼ばれる。「作業定義」は概念と、経験的世界との仲立ちをするいわば経験的な定義である。そしてこの定義に従って観察され、記述化された経験的世界の一部は、データ、あるいは資料と呼ばれて研究の際の経験的証拠となるのである。

もし議論が、抽象度の高い一般的概念の平面だけで行われるとするならば、その議論は経験科学ではなくなってしまう。逆に社会科学の議論が、常に経験的世界の平面にとどまるならば、それは地面をはいまわる悪しき経験主義者のレポートになってしまう。社会科学が経験的事実に基づいた科学であるためには、われわれは経験と抽象との間を、往復しなければならないのである。そこでこの経験と抽象との往復の意味を考えるために、社会学の古典の例をあげてみよう。

2014年5月3日土曜日

変わりゆく保健所像

昭和三〇年代に入って結核の死亡率は激減した。一九五一年までは結核ぱ死因のトップだったが、その後数年の間に一気に四位になり、さらに下がりはじめた。昭和四〇年代に入ってガン検診が盛んになり、全国の保健所で胃ガソや子宮ガソの検診が活発に行なわれはじめた。結核やガンの検診はそれなりに効果も上がったといえるが、多くの保健所長はX線のフィルムを読む、つまり診断医としての領域に生きがいを見出していた。「X線フィルムを見ないと飯がまずい」と私にいった保健所長は何人もいる。これは医師の習性なのかもしれない。

多くの国民はこういった保健所のいわば診療面をみて、保健所のイメージとしていた。しかし、保健所は診療機関ではない。公衆衛生の拠点なのである。ここのところに実は問題があったといえるのではないかと思う。結核は死亡率も患者も激減して″過去の病気”になった。ガンもレベルの高い診療機関ができて、国民はそちらのほうを選ぶようになり、各市町村や大病院がガン検診に乗り出し、保健所で受診する人も少なくなった。

こうして国民からみて″評価心していた保健所の″診療面″は徐々に衰退していった。一方では、先進的な市町村では、市町村保健センターをつくったり、数多くの保健婦を採用するところも現われはじめた。保健所は、国民からかつて信頼を持たれていた診療所の外来のような機能が次々に他の病院などの診療機関に″奪われた”形になっていった。

昭和三〇年代の終わりの話だが、東京の渋谷区民を対象にした「保健所のイメージは?」というアンケートで回答を寄せた人の半分以上が「犬の予防注射をするところ」と答えている。戦後の医療が、昭和二〇年代と三〇年代では大きく変わっている。疾病の構造も結核などの伝染病からガソや脳卒中などの成人病に転換したし、一方昭和三〇年代の前半から臨床検査が導入されて、医療は様変わりしつつあったときである。

2014年4月17日木曜日

養護学校がもたらす新たな差別

従来の不就学児は、養護学校が痙かったから生まれてきたのかというと、まったくそうではないからである。学校へ行きたい、行かせたい、という多くの子どもや父母の願いを無視して、「来てはいけ攻い、就学猶予・免除願を提出せよ」と強要ずる動きが、校長や教育委員会にみられた事実を、だれもが否定できないはずである。そのいい例が、東京府中市の岩楯恵美子さん(二四)のケースだろう。七歳のとき、父親か死亡し、母親は再婚。そのため彼女は、祖父母に育てられた。小学校の就学時、「おたくのお子さんは体が不自由だから一年待て」と役所にいわれ、一年後には養護学校が満員で入学できず、就学免除にされてしまった。

岩楯さんは脳性マヒ者だが、入学を拒否されたあとは、まったくひとりぽっちの生活を、十六歳まで送り続けねばならなかった。この間、教育行政との接触が皆無にひとしい状態に、放置されていたのである。十六歳で生理か始まり、すでに祖母は死亡していて、祖父の手に負えないため、府中療育センターに入所させられたのであった。しかし、同センターでの度重なる闘争が示すように、そこは 「障害」者にとって、決して居心地のよいところでは涜い。それどころか、「障害」者の人権を奪ってしまう、そういう施設であった、と岩楯さんは私に語ったものである。

岩楯さんは、同センターの隔離収容主義と正面からぶつかり続けるなかで、折から高揚していた「障害」者解放運動に、連帯していった。しかし、「障害」者団体の集会に参加しても、配布されるビラの文字が読めないという現実に直面。そこに、教育の権利を奪われていた幼少児体験が重なって、「学校へ行きたい」という願いが固まっていった、という。そこで、七三年十二月、府中市教委に要求書を提出し、支援の人びととともに市教委、教組、地域などに呼びかけていった。市教委との交渉は翌年十月までに、前後九回行なわれた。市教委側は、「義務教育年齢を超えているから、市に受けいれる義務はない。また現状の施設設備では、受けいれることもできない」とし、九回目の交渉から後は「もういっさい会わない」と通告してきた。

岩楯さんと支援団体の「岩楯恵美子学校へ入る会」は、その要求が、教師集団によっても拒否されることにたったあと、朝の登校時に学校へ行き、子どもたちや教師に入学を訴える登校闘争を開始。いまでも週に二、三度は、この闘いを継続している。しかし。教師たちは校門でピケをはったり、ときには警官隊を導入したりして、岩楯さんの入校をはばんだ。また当初、岩楯さんの要求に理解の態度をみせていた子どもたちも、教師たちや父母の意識と行動の内実を正確に反映し、「変態障害者帰れ」などと、子どもの口から吐き出される言葉とは思えないような、暴言の大合唱をしたりするのである。

もう一つのケースを提示しよう。それは七六年十一月九日付『毎日新聞』(東京)に掲載されたものである。東京渋谷区の社会福祉法人「福田会宮代学園」で暮らす知恵遅れのA子さんに対し、渋谷区教委は七六年四月、「区立松涛中の障害児学級へ通学するのが適当」と就学通知した。これに対して、同学園では「障害者が近くの学校で、一般児童と一緒に教育を受けるのは当然の権利」と通知を拒否。同学園の職員がA子さんに付き添って、近くの区立広尾中に通学を始めたが、教室には入れてもらえないでいる、というのである。