2013年7月5日金曜日

経済がローカル化

もっと別の理由がある。これはなかなか理解してもらえそうにないが、ロサンゼルスが世界に売っている財・サービスの種類は、意外に少ない。つまり、ロサンゼルスで働く人の多くは、遠くの消費者になにかを売っているわけではない。裏を返せば、ロサンゼルスの雇用の多くは、「非輸出ペース」の業種に依存しており、ロサンゼルスで生産される財、そして、とくにサービスの多くは、地元の労働者によって地元の消費者に提供され、地元で消費される。消費するものの種類(ショッピングーモールの店員、弁護士、指圧師、教師などが提供するサービスなど)はどこに住んでもほとんど変わらないため、ロサンゼルス経済が「アメリカに似ている」と感じることになる。

しかし、一〇〇年前のシカゴについても、それがいえるのではないか。いえないことはないが、いまのロサンゼルスほどではない。最近、経済がグローバル化している、あるいは、世界が狭くなっているとよくいわれるが、都市の経済を見ればローカル化が進んでいる。大都市圏に住む労働者のうち、圏内のみを対象にサービスを生産している者の比率は、着実に高くなっている。一八九四年当時のシカゴではおそらく、輸出ベースの雇用が全体の半分以上を占めていた。つまり、労働者の半数以上が精肉、製鉄などの仕事につき、シカゴ製とわかるものを世界に売っていた。現在のロサンゼルスでは、この割合はおそらく四分の一程度にすぎない。

経済がローカル化していることを考慮すれば、世界経済の一見、矛盾する現象も説明がつく。世界生産に対する世界貿易の比率が、一〇〇年前とくらべてそれほど大きくなっていない原因は、ローカル化の進行にある。実際の統計を見てみよう。ブ九九三年には、アメリカの国民所得に対する輸入の比率は一一パーセントとなっている。一八九〇年にはこれが八パーセントであった。露骨な保護主義政策をとっていた一九世紀とくらべて、現在のアメリカ市場が開放されていることを考えれば、この程度の増加は、増加とは呼べない。さらに、当時、他の国は、はるかに貿易依存度が高かった。一八五〇年代のイギリスでは、国内総生産に対する輸出の比率が約四〇パーセントに達しており、現在を上回っていた。

しかし、現在では輸送、通信技術の進歩によって「付加価値連鎖の爆発的な拡大」が可能になったとよくいわれる。台湾のメーカーが、アメリカ製のマイクロプロセッサーにシンガポール製のディスクードライブを接続し、中国製のプラスチックーケースに納めて、アメリカに輸出できるようになっている。このようにモノが行ったり来たりしているにもかかわらず、生産工程が単純だった一九世紀末とくらべて、貿易の比率がそれほど上昇していないのは、なぜだろうか。それは、工業製品の行き来はかつてなく激しくなっているが、その一方で、こうした貿易財がアメリカ経済に占める比重が着実に低下しているからだ。

これは決して偶然ではない。経済と技術の質的な変化に深く根ざした傾向である。まず、一見、矛盾する法則について考えてみよう。時がたつにつれ増えていく仕事は、アメリカ経済が得意な分野の仕事ではなく、不得意な分野の仕事である。アメリカ農業の生産性はきわめて高い。その結果、アメリカは食糧の自給はもとより、世界各国に大量の農産物を輸出しているが、労働人口に占める農業部門の就業者の比率はニパーセントにすぎない。これに対し、レストランで給仕したりレジを打つのに必要な人手は、一〇年一日のごとく変わっていない。アメリカの雇用増加の多くを外食産業や小売業が占めている背景には、こうした理由がある。生産性の伸びが大きい産業では、雇用が増加するのではなく減少する傾向にある。