2013年7月5日金曜日

保護主義的な考え方への批判

多くのエコノミストや評論家が競争力あるいは競争という用語をきちっとした定義もないまま用い、そうした議論が政策形成に好ましくない影響を及ぼしているというのがクルーグマンの論調である。当時現役の閣僚であったロバートーライシュ労働長官(それ以前はハーバード大学教授)、ローラ・タイソン大統領経済諮問委員会委員長(それ以前はカリフォルニア大学教授)、著名なエコノミストであるレスター・サウー、保護主義的なスタンスを強くもつ評論家のプレストウィッツなどを名指しで批判したものであったため、それだけ話題性が大きかった。この本のなかでもこの論文が引き起こした反響の大きさを知ることができる。「反論に答える」のなかでは、最初の論文のなかで名指しで批判された人たちが行った反論に対して、再反論が提示されている。

このほか、「貿易をめぐる衝突の幻想」「経済学の往復外交」なども、そうした保護主義論争の一連の議論として読むと面白い。クルーグマンのこの一連の保護主義批判が出たとき、多くの経済学者が喝采したはずだ。実際、当時のアメリカの保護主義論者たちの議論はひどいものだった。しかもそうした人たちが、政府の主要なポストに座ったり、影響力のある評論家(けっして経済学者ではない)として多くの発言をしていたのだ。そうした誤った考え方を正すのも経済学者の使命であるとすれば、クルーグマンの議論のもつ意味は大きかったのだろう。

競争力批判とは違うラインの議論だが、保護主義的な考え方への批判の論文として、「貿易、雇用、賃金」と「第三世界の成長は第一世界の繁栄を脅かすか」も、重要な問題を取り扱っている。「発展途上国の経済発展によってこれらの経済の低賃金労働で生産された商品が大量に輸出され、先進工業国の労働者は失業や賃金下落という大きな被害をこうむっている」。こういった保護主義的な見方が先進工業国のなかに次第に強くなっている。クルーグマンは、こういった議論が、いかに現実の数字の根拠もないいいかげんな議論であるかということを指摘している(共著者のローレンスは著名な国際経済学者である)。アメリカの賃金や雇用に関する問題は、その大半が国内に起因するものである、というのだ。

そのような議論の延長線上で、第4章において発展途上国の経済発展が先進工業国の所得を下げるという議論がいかに根拠のないものであるかということを、いろいろな経済モデルを紹介しながら説明している。クルーグマンの一連の議論を見ていると、かつてMIT(マサチューセッツ工科大学)で彼に貿易論を教えたジャグディッシューバグワティ(現在はコロンビア大学教授でクルーグマンと同じく保護主義批判の評論でも有名)が保護主義に関して用いた比喩を思い出す。保護主義の議論はどこかがっての天動説に似ている。地球は丸いというよりは平らであるという方がわかりやすいし、地球が太陽の周りを回づているというよりは、太陽が地球の周りを回っているという方がわかりやすい。

少なくとも日常の生活感覚ではそうした見方の方がわかりやすい。ガリレオをはじめとする科学者はこうした俗説を打破するため、科学的な事実を世間に受け入れられるような努力を続けてきた。そのため教会という権威とも闘った。いまや、地球は平らであると信じている人は少ないだろう。地球が丸いということを説得的に説明した科学者たちの勝利である。同じような意味で、保護主義者たちの議論はわかりやすい。「アメリカと日本は競争しており、日本の勝ちはアメリカの負けである」、「第三世界からの輸入が増えれば、先進国の労働者は失業する」。こうした、わかりやすい、しかし、誤っている考え方を打破するのは、現代の経済学者の大きな使命である。